言葉は「意味」を伝えるもの、映像は「感じ」を届けるもの。
言葉は論理的で、相手に「何を伝えたいか」を明確に届けるための手段。意図、主張、経験、価値観などを“ピンポイント”で示せるのが強みです。でも、その人の空気感やニュアンスまでは伝わらないこともあります。
一方で、映像は曖昧さを含んでいて、仕草、表情、間、声の震え、背景の空気など、受け手に“解釈の余白”を与える表現です。そこに映る「答えのなさ」や「にじみ出るもの」が、逆に真実を深く感じさせてくれたりもします。
言葉=輪郭/映像=質感
たとえば、誰かの人生を伝えるとき、言葉だけでは「その人の生き方」はわかっても、「なぜそう生きているのか」「どういう空気をまとう人なのか」までは届かない。
でも、言葉と映像の両方があれば、輪郭も、質感も、立体的にその人を“観る”ことができます。
だから、ボクが大切にしている「言葉」と「映像」の掛け合わせは、単なる技法ではなく、相手を理解するための、解像度手段として、よいのかなと思ってみたり。